女子硬式野球物語「サクラ咲ク」重版決定及び「花咲くベースボール」出版1周年記念特別寄稿
今年3月に上梓した女子硬式野球物語第2弾「サクラ咲ク」が7月に重版され、皆様に深く感謝申し上げます。また、昨年7月に同じく初の女子硬式野球物語「花咲くベースボール」が発刊されてから1年が経ちました。感慨深い思いでおります。
これらの拙著ができるまでをわずかながら語りたいと思います。
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女子硬式野球物語 本ノ誕生物語 その1
「先生、女子硬式野球の本を書いてくれませんか?」
日本の女子硬式野球の父と呼ばれる四津浩平が、大腸がんで入院をしていた東京女子医科大学病院の病室に、私は2004年夏の第8回全国大会の報告とお見舞いを兼ね、当時女子高野連会長の佐藤栄太郎氏から渡された記念の盾と大会パンフレットを持って訪れていた。
四津は富山県の出身で大学卒業後、古美術の世界に入り「東洋美術店」を開店。人気テレビ番組の「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京系列)に鑑定士として出演していたが、女子硬式野球の普及のためにと自ら番組を降板した人物である。
その四津から、
「濱本先生、今大会はどうでしたか?」
「いい試合はできましたが、まだまだうちは勝てません…。」
「そうですか…。まだ差がありますか…。」
いまだ大会で1勝もできない監督の私を気遣うように、やさしいまなざしで四津はじっと私を見つめていた。
「ところで四津さん、私は整体を勉強していますので、よかったら何かやりましょうか? 大腸の消化器系は足がポイントなんです、足をやりましょう、足を!」
そう言った私に四津は、自分の足を見せてくれた。
がんであまりにも細くなった両足を見た私は、愕然としながらも、四津の両足の太ももを両手でグーッと圧をかけ刺激を与え続けていた。
そんな私を見ていた四津が突然、はっきりした声でこう言ったのだ。
「濱本先生、女子硬式野球の本を書いてくれませんか?」
何のことかよく分からず戸惑っていた私は一言、「分かりました。」とだけ言い、その場をつくろい病室を出て行ったのである。
四津はこの1ヶ月後逝去し、これが私にとっての四津の遺言となった。